命の儚さと重さ―母が亡くなりました。
こんにちは、長谷川です。
久しぶりの投稿になります。
実は9月下旬に母が亡くなり、先週の土曜日に四十九日の法要と納骨式を西多摩霊園で行いました。
午前中は晴れていたのですが、段々雲行きが怪しくなり納骨式の際には今にも雨が降りそうな天気でした。
天気予報では1日晴れだったので傘を持ってきていませんでした。しかも霊園はとても広いので雨が降ったら雨宿りするところもありません。
急な天候の変化にどうなることかと思いましたが無事納骨式まで終えることが出来ました。
お墓から管理事務所までバスで移動したのですが、そのバスの中で雨が降ってきました。まさに納骨式の終わりに合わせたかのようにです。母が見守ってくれていたのかも知れません。
父が亡くなった時もそうでしたが、不思議なことが起こるものです。(本題から逸れるのでここでは書きませんが、幾つか不思議なことが起こりました。)
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母は9月に再入院しました。
定期検診で血液検査の結果が思わしくなかったからです。
亡くなる前日、授業終了後にお見舞いに行きました。中学3年生対象の受験に向けての特別授業だったので、午前中から始まり夕方には終わったので、その後に行ってきたわけです。
お見舞いの時には母と話ができました。
少し茶色い痰のようなものが出ていて心配しましたが、話は出来たので大丈夫かなと思っていました。
なのでまさかその次の日に亡くなるなんて夢にも思っていませんでした。
お見舞いの後、弟と夕食を食べながら今後のことを話し合ってました。緩和ケアのための病院へ移る話です。
その際に弟から「年を越すのは難しいかもしれないと言われたから、何かあるかもしれないので、電話にちゃんと出られるようにしといて」と言われました。
なぜかと言うと、私はスマートフォンをいつもサイレントモードにしていて基本的に電話には出ないからです。
しかしまさか次の日の早朝に電話がかかってくるとは思いもしませんでした。
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朝7時過ぎに弟からの電話
「心肺停止したからすぐに病院に来て!」
私は髭を剃るのも忘れて一目散に病院へ向かいました。
お見舞いの時に見た痰のようなもの。
それは「腸液が逆流してたもの」でした。
どうやらそれが喉に詰まったようなのです。
朝5時の看護師が見回った時に母は「明日、タクシーで家に帰る」と話していたそうです。
ところがその後の7時の時には既に心肺停止していたとのこと。
うーむ、やりきれない気持ちを抑えながら医師の話を聞いていました。
まさに命の儚さを感じました。
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それから葬儀やら手続きやらで追われる日々でした。
忙しい分悲しむ暇も無いくらいで助かりましたが、ふっとした時に悲しさがこみ上げてきます。
今回の母の死で、私の人生に対するパラダイム転換が起きてます。
「人はいつか必ず死ぬ」
分かっているようで分かっていない。
25年前の父の死の時に分かった気がしていましたが、そこから目を背けようとしていた自分。
今回の母の死でその「人はいつか必ず死ぬ」ことが突き付けられました。命の重さがひしひしと心に染み渡ってきます。
このことは暫くは苦しかったし辛かったのですが、突然不思議な感覚に変わります。
それは、ふっと心が軽くなる様な感覚。
「人はいつか必ず死ぬ」ということが、
前向きと言ったら変な話なのですが、辛さから感謝の気持ちというかなんというか不思議な気持ちになれたのです。
執着が無くなり、
どうせなら楽しく生きよう。
笑顔で感謝して生きる毎日にしようという気持ちです。
突然、ふっと変わったのです。
まさに命の儚さと重さを心で捉えたときに。
一瞬です。
ある意味臨界点に達したのかも知れません。
なので、これからの私の発信も変わるかもしれません。
まだバタバタしてますし、心身共にブログを書く気持ちにはなりにくいのですが、これからもどうぞ宜しくお願い致します。